久方のひかりのどけき春の日に しづこころなく花のちるらむ
「三日見ぬまの桜かな」と言いますが、あんなに咲き誇っていた桜も昨日の雨ですっかり
様変わりしてしまいました。
人生と同じです。あの元気な人が、事故で倒れ、病で去ってゆきます。
そこで、仏教のお寺さんのありがたい法話より。。。
古(いにしえ)より、私たちの祖先は、桜の花を愛(め)で美しい歌を沢山残しました。
紀 友則は
『久方のひかりのどけき春の日に
しづこころなく花のちるらむ』
と、うららかな陽射しの中を、しきりと、途絶えることなく、散ってゆく桜に、
感銘の情を歌いあげています。
花としての生命を全(まっとう)して、散り行く姿を、日本人の好む、潔さと解釈することや、
ものみなうつろいゆく、諸行無常の表れだと、解釈することも出来るでしょう。
文字というものは、答えを一つに決めることをせず、読み手によって、いくらでも
解釈の自由を与えてくれるものです、そこで宗教人としての私は、こんな風に
解釈を加えて見たいとおもいます。
確かに形ある生命は、終わりを迎え、うつろい変わってゆくものでしょう。
桜の花の咲く環境とて、万葉の時代と現代では、吉野山とビルの谷間ほどの差が
あるでしょう。しかし、花は散り、時代は変われども、変わらぬものもあります。
それは、花を愛で 花を美しいと感じることのできる心です。私たちの肉体は、
1代限りのものですが、花を美しいと想う心は、脈々と続いている永遠の生命であり
これこそ、仏の心といえるのではないでしょうか。いつも心の中に「花は美し」と
思える(ゆとり)をもって、くらしたいものです。
さあ♪今日という二度と来ない一日♪楽しんでいきましょうね♪